市場たしかに自然

171年にライブニッツの弁神論(肘包含吋庄ののゆ)によってつくられた言葉であった弁神論は、人聞の道徳的悪に対して神の無罪を弁護する学である。弁神論は、神の善と人聞の悪の矛盾をつくった理由を、人聞の自由意志に転化するために考案された。弁神論は、ゾロアスター教には存在しないといわれる。というのもゾロアスター教は、客観的な善と客観的な悪の存在を認め、その矛盾をつくった原因を、人間の自由意志に帰さないからである。ところが神の叡知を意味するグノーシス主義を受容し、光と闇の2元論的対立抗争を全面に出したマニ教は、人間の自由意志を認めている点で、弁神論が成立する余地がある。それは、青年時代ゾロアスター教と仏教の影響下につくられたマニ教の聴問者(平信徒)であったアウグスティヌスの神の国の自由論に見られるはずである。彼にとり自由は、無力であったが、ともかくその存在価値は神より承認されていた。弁神論は、古代ユダヤ教のヨブ記から現れると思われる。敬度な信仰者ヨブは、何も自分に非がないのに次々災難に襲われる。ヨブは、そのために神を呪い、クルディスタンの山岳を今なおさ迷うクルド難民の嘆きを想わせるかのように、次のような激烈な言葉を吐く。